生まれてきたときのこと

いわゆる難産というのはどういうものをさすのか、詳しくないのでわからないが、わたしが生まれてくるときはたいそう大変だったのだ、ということを言われて育った。

 

朝から始まった陣痛は夕方まで続き、それでも生まれてこないので、最終的に大きな掃除機のようなもの(と言われた)で頭を吸われて、やっとこの世に出てきた。なので今もわたしの頭部には、その時に毛根が一緒に吸われてしまったのか毛髪の生えない箇所がある。

 

相変わらず生きていることがとんでもなくつらくて、毎日嘘みたいにしんどくて、微かな救いとか希望とか楽しさみたいなものを掴めても、すぐに粉々になってますますむなしくなる。

そんな日々の中でふと、生まれてくるのにおよそ8時間ほど、押し出されたり押し潰されたりしながら、ぎゅうぎゅうずっと苦しかったんだな、と思ったら、どうしようもなく悲しくなって泣きそうになってしまった。

この悲しさをどう表したらいいかわからない。そんな思いしてまで生まれてくることに意味があったのか、結局生まれてきたあとも、とてもまともとは言えない家庭で親もわたしも苦しみながら、あのまま生まれてこなければ生じなかった地獄の中で過ごして、一人ずついなくなっていった。

なんなんだろう。なんで、と思う。

わたしの根っこのところにあるのは、やっぱり、生まれてきたことへの悲しみと、怒りと、やりきれなさだと思う。生きている限り誰にも救いようのない気持ち。どんなにごまかしていても、不意に首をもたげてやってくる。

 

生活はままならない。仕事には這うような気分でなんとか通っているけど、責任と重圧と人との関わりに耐えきれなくて、いつも辞めるための言い訳を考えている。

家の中も散らかり放題で、ふと気づけば、散らかっているのはわたしものばかりで、なにもかも最悪だな、と気づいてしまう。生まれつきの性質だとか、不器用さとか、そういう理由があったとしても、起こっていることは変わらないし、起こらないよう工夫する気力すらわかない。

目に飛び込んでくる世界の全てが、洪水のようにわたしに襲いかかってきて、押し潰されてしまいそうになる。まるで、生まれてくるときみたいに。

また生まれていくのか、それとも、死ぬときも同じような道をたどるのか、わからないけれど。

 

お酒を飲んでいろんなことを忘れて、自棄になって笑い話にして、そうやってなんとか耐えている。消耗というより磨耗だ。一度すり減ったら戻らないなにか。

 

それでも、猫が布団に潜り込んで、なにも言わずに丸まってくっついてくれていること、かまってほしくてよじ登ってきたり、肩を殴ってくるついでにつめとぎしてきたり、言葉のない猫とのやり取りだけがわたしの救いなのは、赤ん坊の頃から変わらないので、この子が来てくれて本当に良かった。わたしがアンニュイな人間だったら、サンホラーの習性もあいまって〈希望〉とか〈救済〉とか書いてひかりちゃんという名前にしていたかもしれないね。死んでも一緒にいようね。