森の中へ

イントゥ・ザ・ウッズを観て興奮のあまりあふれでた妄想をかたちにしておきたい。

 

わたしは童話やらの象徴的な解釈が大好きで、もちろん童話もおとぎ話も大好きなので、「童話のハッピーエンドのその後」というのに惹かれて手に取ったのだけど、正直言って前半はとても退屈だった。このまま終わるんだとしたら途中で観るのをやめたいな、と何度か思った。あまりにちんけな話に思えた。けれども、「童話のハッピーエンドのその後」が始まると、とたんにわたしは興奮を止められなくなってしまった。わたしのなけなしの知識をこれでもかというほど刺激してやまなかった。

これは作品へのリスペクトをこめた、わたし個人の受け取りかたを書き連ねるだけの記事なので、もろもろの権利の侵害や他の人の感想の否定、意味付けの固定を意図するものではないことをここに明らかにしておきます。わたしはこんな楽しみかたをさせてもらいました。ありがとう。

 

結末部分に至るまでの重要な内容が含まれるので、閲覧の判断は各自でお願いします。

 

主要な登場人物は、パン屋を営む子供のいない夫婦、その隣に住む魔女、母と牛と暮らす貧しい少年、祖母を訪ねに森へ向かう少女、王子と結ばれることを夢見る貧しい娘、塔に幽閉された娘。夫婦と魔女以外には具体的なモチーフの童話があり、それぞれ『ジャックと豆の木』『赤ずきん』『シンデレラ』『ラプンツェル』で、魔女はラプンツェルの育ての親としてのアイデンティティは付与されています。

ストーリーは長くなるので割愛しました。興味深い要素だけ抜き出しています。

 

これらの登場人物は、「勇敢な妻との間に子供が生まれない頼りない男」と「塔に幽閉した娘にすがり付く母親」と「母と暮らす少年」と「母の言いつけを聞き祖母のもとへ向かう少女」と「継母たちのいじめから、亡き母の墓に泣きつく娘」と「塔に幽閉され母に支配された娘」といった図式で前半に描写されます。この話も類に漏れず、父性や父親といった存在が排除されています。

呪いが解け夫婦が男の子を授かり、魔女が若返り、物語が定められたハッピーエンドを迎えると、「魔女が育てた豆を、妻が姫にあげ、姫がそれを投げ捨てたことで」、「女の巨人」が空から降りてきます。その巨人は、「魔女が育てた豆を、夫が牡牛と引き換えに少年にあげ、少年がその豆でできた木を登り、巨人から金の卵を盗み、それを見せられた少女が信じなかったので、少女を信じさせるために金のハープを盗んだところ、追いかけてきた男の巨人を殺した」ことによって、「夫を失った妻」です。巨人は王国を踏みあらし、それによって赤ずきんは母と祖母を失います。

巨人はジャックを探しているので、シンデレラの継母たちや王子の付き人はジャックを探しだし差し出そうとしますが、ジャックの母はそれを止めようとして死んでしまいます。

夫婦は帰る場所を失った赤ずきんに赤ん坊をあずけて、手分けして森を進みますが、その最中に妻は王子と出会い、夫はシンデレラと出会います。シンデレラも巨人によって母の墓を失っています。

さて妻は、王子とのキスによって混乱し、夢と現実の間で巨人から逃げ崖から落ちて死んでしまいます。王子は妻とのキスによって奮い立ち巨人退治に向かいました。

その後妻にもたせたマフラーをつけたジャックと出会い、夫は妻の死を知ります。

これで真の決別のために必要な要素がそろいました。

夫は妻の死をうけて、巨人を怒らせたジャックを責め、ジャックは豆を自分にわたした夫を責めます。赤ずきんはそれをきいて、ときに夫に味方し、ときにジャックに味方します。そして、シンデレラは己の責任に気づき、ジャックは赤ずきんに責任を問います。そこに魔女が現れ、みなが魔女が豆を育てたせいだと魔女を責めると、魔女は自分のせいにする代わりにジャックをよこせ、と言います。そしてそれを拒んだ彼らに、魔女が新たにまいたいくつかの豆を世話しろと呪いながら、母へ新たな罰を乞い、タールの沼になります。

魔女が消えるとそれぞれは自分達の責任を受け止め、協力して巨人を倒すことにします。そのなかでシンデレラは王子の裏切りを知り、目の前のお互いではなく王子とそれぞれが夢見た相手を愛することを告げあって決別します。

巨人はタールの沼に足をとられ、ジャックの投げた石つぶてによって倒れ絶命します。そして、夫と赤ん坊、赤ずきんとジャックとシンデレラは、一緒に暮らすことになりました。

 

これを、夫を主人公と見立て他のキャラクターをすべて「象徴」として解釈します。嫌な予感がしたらやめておいてください。わたしも自分で傲慢なことをしようとしているなと思います。

子供が生まれるためには、「魔女」というネガティブな母なるものからうけた呪いを解かねばなりませんでした。そのために必要なのが、白い牡牛と赤い頭巾と黄色い髪の毛と金色の靴だったところについては、いくつか考察している記事もあったので割愛します。問題は子供が生まれたあとです。

男は親になることができませんでした。それは自らが母を失ったあと父に捨てられたからでもあります。最後に男が親になることを決意するまでに起こったのは、「妻との死別」「魔女の消失」「少年・少女・姫との結託」「女巨人の退治」でした。これを、強すぎる母なるものの存在から決別する過程であるとわたしは感じました。

まず妻。物語の前半では、男の伴侶として、呪いを解くために、ラプンツェルの髪をちぎったり、シンデレラと靴を交換したりします。ラプンツェルは男の妹を魔女が育てた娘なのも興味深いです。妻は見事に男を助け、森の中での苦難を乗り越えた夫を称賛し、見違えるような頼れる男になったと言います。そして子供が生まれ、妻は「母」の属性を得ます。森の中で妻は赤ん坊を抱きたがらない夫を責めます。そして自らが率先して一人で森の中をゆき、王子という「夢の中の存在」に出会い心を揺り動かされるうちに退場します。ちなみに王子にとっては妻こそが相対する世界に住む「夢の中の存在」であり、その妻とのキスによって力を得て旅立っていく、というのも興味深いです。つまり、母という属性を得た以上この男を主人公とした世界からは退場しなければならなかったのではないでしょうか。

次に魔女。魔女は男に呪いをかけた張本人で、男のこの一連の試練の元凶です。魔女は最後にジャックという少年を求めますが、叶わず男たちの結託に気圧され自らタールの沼になる道を選びました。このタールというのは、物語の前半で王子がシンデレラを引き留めるために階段に塗ったものでもあり、使われ方としては男が女を足止めするみたいな感じでした。

最後に巨人。巨人はでかすぎる女というそのままのイメージがしっくりきます。

男は、母なるもの、ネガティブな母なるもの、大きすぎる女性を、少女と少年と娘と結託することでのりこえ、己の赤ん坊を育てる姿勢にはいることができたのではないかと感じました。男が親になるためには、魔女のまいた種によって、天と地が繋がり、少年が災厄を天から呼び寄せなければなりませんでした。それを乗り越えるのには、母ではない女性性の力が必要だったのかもしれません。

あまりこういう言葉を使わないようにしたのですが、グレートマザーにのみ込まれた状態から、トリックスターが事態を急変させ、新たなアニマと出会う、という大きな流れかなあと感じて、ものすごく勝手に興奮してしまったわけでした。

 

本当はもっともっと考えるべき内容や面白い表現がたくさんあるんですが、わたしの力量ではわたしの拙い知識から連想してしまった妄想しか書き記すことができないので、ぜひ、これを読んでくれたなんて奇特な人がいたのなら、そういう少し穿った目でも観てみてほしいと思います。歌うまいし絵も綺麗だし話もいいし、素直に素晴らしい作品だと思います。しかし、その背後には多くの童話と同じように、こういう象徴的な表現が溢れていて、だからこそこんなにも人の心に響くのかな、という気がしてしまいます。

 

 

悪とメルヘン―私たちを成長させる“悪”とは?

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 この本、すごく面白かったです。