真面目な話情緒が未分化

一言で言えば情緒が未分化なのである!

 

高校一年生のとき、コスプレをやっている友達に付き合ってイベントに行ったら、コスプレ参加しているとある男性にやたら気に入られ、付き合ってほしいみたいなことを言われた。

わたしはそのとき、好意を持たれるのはうれしいしわたしも好意を持っているけれど、恋人という関係はよくわからないし、友達で一番好きな人と恋人との違いがよくわからないみたいなことを言った。

それに対して彼は、きみはアガペーの人なんだね、博愛主義者なんだね、と言った。

アガペーとか博愛主義者とかがあってるかは今日は考えません。

 

その頃からなにも変わってなかった!

 

わたしはアイデンティティがない。

自己矛盾のかたまりであり、自己の連続性も同一性も全くなく、常に脱皮をし続けているような気分で、過去の自分と自分が同一であるということもよくわからない。理屈ではわかるけど体験的には全くわからないのである。ついさっきの自分の感情を書き留めるべくこうしてフリック入力しているうちに、わたしは更新されてしまったので人のことを書いているのだ。

それなので、自己がわりと分断されていて(分析心理学的にはここで自己という表現を使うのはおかしいのでしょうが上記の表記に合わせて普通に自分という意味で使っています)、ある程度目安をつけるならば少なくとも三人の区別をつけることができる。

それは人格的に分断されているわけではなくて、時間軸のある一点がまだ残っているという意味である。

わたしは4歳、14歳、そして現在の生活年齢である21歳に、情緒がシフトする。と思う。極端に図式化すればの話である。

4歳は、死ぬほど母性を求めているので、誰にでも構ってほしいし甘えようとするし、こいつが諸悪の根元であることは間違いない。こいつが一番人付き合いもうまい。なぜなら幼いからだ。ぽけーっとしているので人間との関わりが最低限になり、かつ情緒的なコミュニケーションを求めがち。

14歳は、4歳よりはましだがいかんせん幼く、情緒に支配されている。承認欲求が強く、わがままで、一番異性に執着を持ちやすいのもこいつだと思う。つまり、4歳が母性なり父性なりを求めた相手を、こいつは異性として認識するのである。このタッグが非常に苦しい。

そして21歳はこういう文章をかけるやつである。基本的にはこいつが優位なはずである。大学院に行きたがっているのもこいつである。悩んでいるのもこいつである。

 

フロイトを引用するなれば、4歳と14歳のイドに振り回されている自我が21歳なのである。

しかしながら、4歳と14歳はわたしが生きていくために備わっている次元であるので、なくなられるとこまる。

 

さて、ここから生じる問題に論点を移すと、つまり一人の対象に対してのわたしの感情に著しい差が生じ、その葛藤が鬼のように激しいということである。

例えば、4歳がなついた相手を、14歳が異性ととらえると、わたしのなかには「保護者へ向ける愛情」と「異性へ向ける愛情」の二つが生じることになる。その二つを適度に解放・充足しないと自我のバランスが崩れるので、わたしはある程度そいつらを自由にしたり、夢によってそれが満たされようとするわけである。

それが問題だ。

わたしの夢には申し訳ないことにこれまで三人の男性がそういう役回りとして登場させられてしまっている。

そして、4歳と14歳によって、わたしには彼氏もいるわけである。

4歳と14歳の欲求を満たすために、そのリソースが多数用意され、その結果わたしは、というか21歳は、どれが自分の本当の感情なのかわからなくなるのである。

ちなみに、わたしは夢の中での感覚が非常に鋭いというか、現実に遜色ないので、夢の中での体験を決定的に現実での体験と区別することができない。つまり、夢であったこともわたしにとっては現実と同じ重みと意味を帯びてしまう。元彼と夢で手を繋いだら一日鬱になるのである。現実で会おうものならご本人様登場に14歳が歓喜するのである。

そもそも自分がばらばらなので本当の感情もくそもないのである。

ちなみにこの人格の崩れの諸悪の根元は父親だろうと思う。つまりエレクトラ・コンプレックスである。父親に恋しているのに母親という抑制がない、最悪のパターンである。父親の死によって、その後の夢によって、父への恋心がしっかり根付いてしまったのが問題なのである。これは今はどうでもいい。

 

と、理屈で言えばこうなる。

ぶっちゃけこのシステムに疲れた。

言語化してしまうと極端な話だけど、わりとこんな感じなのでは~~~~という感じ。

だから、わたしは基本甘えたいだけなので、自分が好意的に思った相手が構ってくれればそれでいいんですね。なので、友人と恋人の違いがわからない。強いて言えばスキンシップしてもいいかよくないかくらいの違いに思える。高校一年生のころと全く変わっていない。本当になんにも。

ちなみにわたしは基本4歳の情緒と欲求が根っこにあるので、基本的には性嫌悪なので、自分が処女ではなくなることに耐えられなくてずっと避けてるんですよね。どうでもいいんですけど。女になりたくないんですよね。女になりたくない。わたしはまだ女の子のはずなんですよね。そんなことはないんですけどね。21歳だけになったらそんなことは言わないんですけどね。だからわたしを4歳として扱ってくれる人間が大好きなんですが、21歳としてしかも女として扱われるのは本当にごく稀な場合を除いて以外本当にだめですね。ごく稀な場合というのは、完璧に21歳が意識の主導権を握っている場合です。

 

好きは好きで好きなんですよ。

likeとloveの違いはあるんだけど、たぶん、たぶんあるというか特別な友人はだいたいloveでそれ以外がlikeなんですけど、loveのなかに区別がないんですね。

たぶん彼氏はloveで元彼がlikeみたいなのが普通なんだと思うんですけど、どうしてもそれができない。彼氏と同格の男性は3人くらいはいます。彼氏とほかの男性の何が違うのかと聞かれたら、よくわかりません。たぶん契約関係にあるかないかみたいな、それだけ。

だから貞操観念薄いみたいな!!!ビッチみたいな!!!!精神的ビッチみたいな!!!!!!感じが!!!!!して!!!!!はい!!!!!!!

だって好きは好きでしょうが…

好きという感情が未分化なんだと思いますね。情緒が赤ちゃんなので。

 

いや~~~~なんかもう、はい。

せめて14歳がいなくなればいいのにと思いますね。

自分がひとつで連続してるのが当たり前だとついこの間知ったわけですが、すごくうらやましいですね。まあ自由度が低くてつまんなそうだなともおもうんですけど、でも楽そうでいい。単純でいい。わかりやすくていい。うらやましい。

 

まだ書かなきゃいけないこともたくさんあるんだけどもう疲れたので終わり。

 

恋の瞳は閉じてなんぼ!