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結婚したら、貧乏でも楽しくやっていけるよね

人間のしあわせってなんだろう。

 

好きなタイプは年上で頭がよくて本を読む博識な物腰の柔らかい大人っぽい人です。

 

本当に好きな人とは結婚しない方がよいのだと聞いた。二番目に好きな男と結婚するのが女の幸せなのだと。

 

わたしは、解離っぽいのかなんなのかよくわからないけど、とにかく雰囲気に引きずられて情緒が著しく変化して、その際には価値観や行動様式、ものの考え方、捉え方、将来の夢、もろもろの何もかもの精神的な活動が変わってしまう。

もしも、一人でいるときのわたしが本物なのだとしたら、わたしは結婚もしたくないし性行為をしたくもないし生殖活動もしたくないし、人といたくもない。

それでもわたしは寂しくて、依存しないと生きていけないので、誰かには依存したい。だから恋人もいる。でも、一緒にいれるときといれないときがあって、好きでいれるときといれないときがあって、耐えられるときと耐えられないときがあって、恋人を振り回しがちだし、わたしの都合に、主に不安定な情緒によって、彼に臨機応変な対応を求めすぎている。

それに耐えて慣れた恋人は、わたしにぐずぐずに依存してしまった。

わたしは依存されるのが嬉しかった。わたしを必要とされることが嬉しかった。受け入れてもらえるから、優しくしてもらえるから。だから恋人とそれらしく仲良くもできた。

でもときどき、ふと我にかえると、どうしても気持ち悪くなってしまって、なにもかもが興ざめを越えて苦しくなって、意識を少し後ろに下げてしまうのだった。離人は便利なツールでもある。

 

 「好き」の呪縛が怖い。「好き」には「好き」を返すのがマナーだ。わたしに時間もお金も途方もなくつぎ込んできた彼に、不躾な真似をすることはできない。 わたしという存在が彼にとってどれだけ大きなものかということと、わたしと彼はもう同じレールの上に乗っているということと、そのレールに乗ったのは自分だということと、とにかく彼とわたしの間に存在する、彼から向けられたあらゆる感情やわたしの価値を思い知れば思い知るほど、わたしはこの底無し沼から未来を見つめる方法を思い出せなくなる。

 

あんなかわいい子供が生まれたらいいね、子供が生まれたらこんなふうに遊ぼうね、きっと楽しいよね、そうやって話したのは、うそではないんだよ。

うそではないけど、現実にいるのが苦手なわたしにとっては、その現実を叶える力がないかもしれない。きみと一緒に生きている自分を思い出すことができないときがある。刹那的な、現実的なしあわせってなんだっけ。どうやって楽しくなっていたんだっけ。きみといて、何が楽しかったんだっけ。依存させてくれるなら、誰でも良かったんじゃないの。わたしも、きみも。都合がいいやつって思われてそうってきみは言ったよね。そのとおりなんだろうね。でもきみがわたしといたいって、きみがわたしのこと好きだって、それが最初で、いまでも続いてるんだよ。

 

わたしが元気になったのはあなたのおかげです。感謝しています。だから、わたしはその恩を、あなたに返すために、あなたがわたしがいれば幸せだと言うから、わたしがいなくなったら生きていけないと言うから、たぶんあなたが好き。