生きていくために忘れること

ママに会いたいし、パパに会いたい。
ママもパパも大好きだけど、でも許せない。

私の誕生日は九月で、その年の三月が両親の結婚記念日なのをつい最近知った。三杯めのビールで機嫌のよくなった祖父が「お前の父親は研究所に内定が決まっていたけれど、お前ができたので諦めてこっちに残ることになったんだ」と言っていたのを思い出させた。私が生まれたとき、父も母も23になる年だった。だから、私は大学四年のカップルに仕込まれて、卒業の時期に存在が判明して、色んな人の諦めと落胆の末に生まれた子どもなのだった。

ふたりは親という役割を担うことのできる人間ではなかった。可愛がられた記録と、可愛がられなかったわたしが今残っている。Zガンダムカミーユが言っていたように、私も親に親をやってほしかったのだ。
手に入れられないものになってしまったし、取り戻すこともできないし、取り返すことも、やり直すこともできなくなった。私は来年、両親が私を仕込んだ年齢になる。真っ当な人間になるための時間はもう少なくなってしまったけれど、何かあるたびに死にたくなってしまうし、何もかもが欠けているままだ。それを満たしてくれなかったのは、今満たすことができないのは、間違いなく両親のせいだ。でも誰が彼らを責められるのか。私を生むまでは確かに二人も被害者だった。

あの夜、父親が泣いていたとき、ママを助けられなくてごめんな、と言われたとき、私はなんと返したのだったろう。思い出せないことが増えていく。生きていくためには、そうやって両親のことを切り捨てていくしかないのだろう。同じようにならないために、ひとりの人間になるために。